『ブルージャスミン』目的地はジャスミン

BlueJasmine1映画

ブルージャスミン

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『ブルージャスミン』

キャスト

スタッフ

監督 ウディ・アレン
脚本 ウディ・アレン
製作 レッティ・アロンソン
スティーヴン・テネンバウム(英語版)
エドワード・ウォルソン
製作総指揮 レロイ・シェクター
アダム・B・スターン
出演者 ケイト・ブランシェット
アレック・ボールドウィン
ボビー・カナヴェイル
ルイ・C・K
アンドリュー・ダイス・クレイ
サリー・ホーキンス
ピーター・サースガード
マイケル・スタールバーグ
撮影 ハビエル・アギーレサロベ
編集 アリサ・レプセルター
製作会社 Gravier Productions
配給 ソニー・ピクチャーズ・クラシックス
ロングライド

ジャネット・“ジャスミン”・フランシス :ケイト・ブランシェット
ハル・フランシス :アレック・ボールドウィン
アル -:ルイ・C・K
チリ -:ボビー・カナヴェイル
オーギー  :アンドリュー・ダイス・クレイ
ジンジャー -:サリー・ホーキンス
ドワイト・ウェストレイク : ピーター・サースガード
フリッカー医師 : マイケル・スタールバーグ
ジェーン : タミー・ブランチャード
エディ : マックス・カセラ
ダニー・フランシス : オールデン・エアエンライク

ブルージャスミンを見ました。

この映画は見たときの状況やタイミングによって感想がいくらでも変わる映画だと感じます。

切り取ろうと思えばいろんな切り口で切り取って見ることができますし、色んな角度から好きな登場人物に感情移入して楽しめる映画です。

ジャスミンという未亡人のお話というよりはブルージャスミンという世界の中の箱庭を覗いているような気分で見ると、おそらく楽しめると思います。

ウディ・アレンの作品ではたぶん初めて見た作品だと思うのですが、結構楽しめました。

鑑賞後はぼやーっとしていたのですが、暫く経つと気になるところも出てきたので、短めにまとめてメモしておくことにします。

1 女性不信

なんというか、「どうせ女なんてこんなんだぜ」感が漂いまくってるんですよね。なぜでしょうか。監督の生い立ちとか作品の作風となんか関係があるんでしょうか?

「女性蔑視」とまではいかないのですが「拭い去れない女性への不信感」という雰囲気が感じられるんですよね。それが作品テーマだったというほどではないのですが、なんかモヤモヤと気になる感じなのです。

それが映画の本筋とはあまり関係ないところで出てきたりするので、監督の作風や作家性といってもいいものなのかもしれません。
(ウディ・アレン監督の作品をたくさん見たわけではないのであくまでそう思った程度です)

え?ここでそれ?なんで?という些細な疑問
ん?なぜ?今のはなんで?というほんの僅かな疑惑

そういった小さなささくれが完全スルーで話がどんどん進行していってしまうので、喉の奥の骨が取れないような、靴の中に砂が入ったままのような、妙な感情的なイガイガが残るんです。

そしてそれを作品中で解消してくれるわけではないのです。

非常にモヤモヤします。
ですが、それを解消したいという思いが作品世界への自然な没入に繋がるのかもしれません。

「不自然さ」と言ってしまえばそれまでですし、「意図的演出」というには物足りないという微妙な距離感なんですよね。それを作家性と呼ぶのでしょうか。

2 ジャスミンは不幸を目指している

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自分で言っちゃってますので、これは明白でしょう。「ジャスミンは影で咲く」「ジャスミンは夜に似合う」のだそうです。

つまり名前からしてこの物語の(名目上の)主人公、ジャスミンは「不幸」「夜」「暗闇」「影」を身にまとうことを運命づけられていることになります。

最初っから「幸せだったあのころの栄光を取り戻す」というじぶんの目標は本質的にはそもそも存在すらしていなくて、というか本人は本当はそれを全然望んでいなくて、本当にジャスミンが望んでいたのは

「かわいそうな自分を見て」
「惨めな私はなんて可愛そうなのかしら」
「悲劇のヒロインがいるとしたら、それは間違いなく私」

という悲劇に酔っている惨めな女です。

「精神安定剤なんか飲んでるあたし」「6種類の精神薬を混ぜて飲んでるの~云々、通称カクテルっていうのー云々」「勉強しなきゃいけないの!(なんの?)」彼女のセリフだけ取り出して見てみても彼女は一貫して自分の不遇な状況に酔っているのが分かります。

最初の空港でのシーンから、ラストシーンまで、この映画全てに渡って、最初から最後まで、彼女は「本当に自分が望むこと」に向けて邁進していたことになります。

そしてそれが悲喜劇として成立しているのは、観客にはそれがはっきり見えているのに、彼女には(彼女だけには)自分の姿が客観的に見えていないからですよね。

まだ未見の方は、彼女は果たして「正常」なのか。もしくは「異常」なのか。
という視点で見ても面白いですし

「狂ったとしたら一体どこからなのか」

「そもそも彼女は本当に狂っているのか」

などの問いを立ててから見てみると非常に楽しめると思います。

3 妹の存在、そして男たち

ジャスミンに関しては、私は一貫した彼女への価値観があるのですが、不可解なのは妹です。

とにかく非常に奔放な人です。浮気症で人の浮気にはあれこれ悩むくせに、自分には甘々なのがわかるようなわからないような、不思議な存在です。

人の気持ちをすごく敏感に察して気遣えるのに、浮気とかバレたら激しく人を傷つけることには無頓着。
社会通念的なモラルではなく、彼女自身の規範とルールで生きる人です。

彼女が放つセリフには本気でヒヤッとすることが何度もあり、それがこれは映画というより箱庭を覗いているんだという気持ちを再確認させられたりする場面であったりもしました。

この映画にはそもそも主人公は不在なのです。別の言い方をすれば、いなくても全然構わない。

だから、本来脇役(という役割)の彼女に光が当たっているような、それでいてすべての人間に同時にスポットライトが当たっているような感覚になるのです。

そのような感覚の中で突然彼女のセリフにバッとすべての光が一瞬当たるので、本質的な自分の弱いところをいきなり勝手に覗かれて、画面の中からぐさっと一突きにされているような感覚に陥るのです。

彼女が何を考えて、本当はどんな人なのか、正直さっぱりわかりません。でもそれは私がわからないだけで、彼女に大いに共感できる人は案外いるのかもしれません。

なんだかんだ言って彼女の周りに人が集まる理由はなんとなくわかるような気がします。
人間的魅力にあふれる魔性性がありますね。

この映画には「言語化できない魅力」「あえて言語化しなくてもいい魅力」があります。曖昧で、マジメで、誠実だけどみんな嘘つき。矛盾に満ちていて、不幸であって同時に幸福。それが人間なのかもね。

時間がたって見返したくなるような映画かもしれません。

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